悲しい知らせ、高田賢三さん

10月4日(日) 感染者数:12,804人(前日比70人増) ステージ1

早朝にメールをチェックしていると、パリ在住でファッションデザイナーの高田賢三さんの訃報が届きました。新型コロナウイルス治療のために先月から入院なさっていたそうです。

高田賢三さんには一度お目にかかったことがあります。もう何十年も前に、客室乗務員として成田からパリ行きの飛行機に乗っていた時のことでした。その日、エコノミークラスを担当していた私は、出発前にお客さまを機内にお迎えしていました。お客さまは若い方が多く、社員旅行か何かかしらと思っていたら、あるお客さまが近づいてこられました。

お客さま:すみません、これを前に座っているケンゾーさんに渡してください。(と免税店の袋を渡される)
   私:ケンゾーさんですか?ケンゾーさんって、どなたでしょうか?
お客さま:高田賢三さんです。
   私:大変失礼しました。かしこまりました。

お預かりした免税店の袋を持ってファーストクラスへ歩いていくと、ドアの近くに高田賢三さんが立っていらっしゃいました。

     私:高田さま、こちら、後ろにお座りのお客さまからでございます。
ケンゾーさん:ありがとう!(笑って軽く会釈しながら)

とても物腰の柔らかい、感じのいい方だったので、ずっと覚えていました。ちょうどパリコレの季節でした。

こうやって少しずつパリとのつながりがなくなっていくのかなと、一抹の寂しさを感じずにはいられない朝でした。

儚いってこういうこと?

今朝ジムから戻って、テレビをつけたら、いきなりパリのノートルダム大聖堂が火に包まれていました。驚愕というのは、こういうことでしょうか。850年以上も前に200年の歳月をかけて建てられた石造りの大聖堂が燃えているなんて信じられませんでした。まさか、尖塔と屋根が崩落するのを目の当たりにするとは。

パリに引越しをして、初めてノートルダム大聖堂を見た時は、あまりの大きさに驚きながら「ここが、せむし男が住んでいたと大聖堂なんだ」と感動しました。その後、バスティーユのアパルトマンから、ちょっと長めの散歩で出かけたり、役所に行った後に立ち寄ったりと、身近な大聖堂でもありました。その大聖堂が燃えているのを見ていると、なぜだか涙ぐんでしまい、自分でもびっくりしました。今日13時までに仕上げないといけない翻訳の仕事もあったのですが、全く何も手につかず、テレビに釘付けの月曜日の朝となってしまいました。

尖塔と屋根は崩落しましたが、大聖堂の前面(ファサード)と鐘楼(ベルタワー)は焼けずに残り、無事持ち出された絵画や彫像といった歴史的価値のある遺物もあるようです。マクロン大統領は、現場で「フランス国民はノートルダム大聖堂の再建を望んでいます。ノートルダム大聖堂は歴史的価値のある建物です。ノートルダム大聖堂を再建するのは、我々の宿命です」と声明を発表しました。

今となっては、850年以上前に建てられたノートルダムを訪れることができたことに感謝しながら、再建の日を待ちたいと思います。

人の人生の10人分以上の長きに渡ってパリの中心に建っていた建造物が、いとも簡単に燃える様子をテレビで見ていたら、ふと「儚い」という言葉が思い浮かびました。この世の中には、常住や永遠などどいうものはなく、すべて無常なのですね。

人生も同じように儚くて無常。だとしたら、何をしようか、何から手をつけようか。しばらく旅に出ていないこともあってか、無性に旅に出たくなりました。